「視覚編」のページでは、人が何かを目撃する際の視覚の働きについて見てきました。
続くこちらのページでは、その目撃した情報を人はどのように記憶し、思い出すのか、といったことを紹介していきます。
まずはイギリスの心理学者、リチャード・ワイズマンによる面白い動画を紹介しますので、こちらをご覧ください。これはカード・マジックの動画です。カードの裏は青ですが、この色が変わるといいます。女性が選ぶカードにも集中してください。英語がわからない人でも十分に楽しめます。
いかがだったでしょうか。動画を最後までご覧になった方の中には、きっと驚かれた方もおられたのではないでしょうか。
実は、この動画は単なるマジックの動画ではなく、人間の観察力や記憶力をみる心理学の実験でした。この動画をみると、 人間の観察力や記憶力は一般に思われているほど、すぐれているわけではないことがよくわかります。
なぜなら、マジックだと思ってカードに集中していると……
以上の4点が変わったことに大抵の人は気づきません。(私も気づきませんでした)
しかし、視界には入っていたはずです。けれどもほとんど記憶できていないのです。
これが目撃現場であれば、どんな危うさを生むのかは明らかでしょう。視界に入っていたからといって、正確に記憶できているとは限りません。
見慣れているはずの100円硬貨
ここでは、もうひとつ、記憶力と観察力をみる実験をご紹介します。突然ですが、あなたは100円玉の表と裏を記憶だけで描くことができるでしょうか。100円玉なら普段から見慣れているはずです。それでもいざ描くとなると、「あれ……どんな模様だったっけ」と考えてしまう人も多いのではないでしょうか。
京都大学の梅本堯夫教授らのグループは、5つの採点ポイントを設けて60人の大学生にテストしたところ、思い出せたのは平均して1.95個だったといいます。
ポイント | 正答率 |
---|---|
100 | 100.0% |
昭和…年 | 40.0% |
日本国 | 23.3% |
百円 | 21.7% |
桜の花3つ | 10.0% |
上の表のように、人は普段から見慣れているものであっても、録画映像を再生するように正確に思い出すことは難しいようです。
こうした記憶の曖昧さは、実は私たちが普段の生活において物事を隅々まで観察しているわけではなく、写真や動画を撮影するように、ある場面を正確に切り取って記録できるわけではないことを示しています。
この記憶の不確実性について、菊池聡氏の『超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ』
『記憶は不確実である』イコール『覚えたことを思い出せない』というだけならば、これは誰でも納得できることだと思います。 (中略)ですが、この意味での不確実性は比較的軽い問題にすぎません。思い出せないことが自覚できるなら、それなりに対処のしようがあるからです。
深刻なのは、『事実とは異なる情報が思い出されてしまう』という意味での記憶の不確実性です。つまり、記憶システムの中で記憶情報の変容が起こってしまう場合です。これが思い出せない場合よりタチが悪いのは、本人には間違った記憶だという自覚がまったくなくて、正しい記憶のつもりでいることです。
このような、「事実とは異なる情報が思い出されてしまう」ことは目撃情報などでも起こり得ます。次からはアメリカで行われた実験をご紹介しましょう。
人は存在しなかったことも「思い出す」
1978年、ワシントン大学の心理学者エリザベス・ロフタス教授らによって、約200人を対象とした実験が行われました。
この実験では、街中を走る一台の赤い車が、やがて歩行者を巻き添えにした交通事故を起こすまでを記録した30枚の連続スライドが見せられます。
ただし、ここでひとつポイントがあります。30枚のスライドのうち、1枚だけは2種類のスライドが用意されていました。被験者の半数(約100名)には交差点の角に「停止標識」があるスライドを見せ、残りの半数には「徐行標識」のあるスライドを見せたのです。
その後、被験者はいくつかの質問を受けます。しかし、その中のひとつが鍵になる質問になっていました。2つに分けていたグループ(約100名ずつ)のうち、さらにその半数(約50名)に対しては「車が『停止標識』で止まっていたとき、別の車が通過しましたか?」と質問し、残りの半数には「車が『徐行標識』で止まっていたとき、別の車が通過しましたか?」と質問したのです。
つまり実際に停止標識を見た人も徐行標識を見た人も、その半数は自分が実際に見た風景についての質問を受け、残りの半数は実際には見ていない標識をさりげなく含んだ質問を受けたことになります。
はたしてどんな影響を受けるのでしょうか。質問の20分後、被験者が最初に見たスライドの記憶を確かめる再認テストが行われました。テストのやり方は、2枚1組のスライドをいくつか見て、実際に自分が見たのはどちらなのかを指摘するというもの。
この中には前出のスライドのような、「車が『停止標識』で止まっているスライド」と「車が『徐行標識』で止まっているスライド」のペアも含まれていました。
気になる結果は、途中で矛盾のない質問を受けた人の正答率は75パーセント。逆に誤導情報を与えられた人の正答率は、その半分ほどの41パーセントでした。
明らかに誤導情報を与えられた人たちの中には、その情報につられ、実際には存在しなかった標識の記憶を作り出してしまった人たちがいたのです。
存在しない納屋とテープレコーダーの記憶
ロフタスの実験は他にもあります。続いては学生を対象にある映画を見せ、その後に誤導質問をした実験。
この実験では、映画上映後、何人かには次の質問をしました。
白いスポーツカーが、農家の『納屋』の前を通り過ぎた時、どのくらいのスピードを出していましたか?
別の人たちには比較対照として次の質問をします。
白いスポーツカーが道を走っていたときのスピードはどのくらいでしたか?
1週間後、今度はこの学生たちは「納屋」を見たかどうかの質問を受けました。実際には映画の中に納屋など一切出てこなかったのですが、ないはずの納屋を含んだ質問をされていた学生のうち、17パーセントが「実際にそれを見た」と回答。これとは逆に、比較対照群の学生で納屋を見たと答えたのはわずか3パーセントでした。
この結果から、目撃者に対する質問の中で「実際には存在しなかったもの」に何気なくふれると、その情報の影響を受けて偽りの記憶がつくられてしまう危険性が高まることがわかりました。
ロフタスは、こうした偽りの記憶が簡単に作れてしまうことを学生に気付かせるため、「誰かに実際には無かった記憶をもたせる」という課題を授業で出しています。この課題に取り組んだあるグループは、駅で次のような実験を行いました。
まずグループの女性2人が駅の待合室に入り、そのうちの1人がベンチの上に大きな荷物をのせます。その後2人は一緒に時刻表を確認するため、荷物を置いたままその場所を離れます。
するとその間に別の学生が1人、人目を避けるように荷物に近づきます。そして中から何かを取り出すフリ(実際には何も取らない)をしたあと、さらにコートの下に隠すフリをし、急いでその場から離れます。
しばらく経つと戻ってくる女性たち。ここで荷物を確認するとすぐに、「私のテープレコーダーがなくなっているわ!」と叫ぶのです。さらに彼女たちは、先生がそのテープレコーダーを特別に貸してくれたこと、高価なものであることを泣きながら訴えます。
もちろんこれは演技です。テープレコーダーも最初から存在していません。
ところが1週間後、実験グループの他のメンバーは、保険代理人を装って現場に居合わせた人たちにいくつかの質問を行いました。その際、一連の質問の最後には鍵となる「テープレコーダーは見ましたか?」という質問が用意されていました。
はたして目撃者たちの証言はどうなったのでしょうか。気になる結果は、半数以上が実際には存在しなかったテープレコーダーを「見た覚えがある」と答え、そう答えたほとんどの人が「色はグレーだった」、いや「黒い色をしていた」、あるいは「ケースに入っていた」、さらには「アンテナが付いていた」などなど、実際には存在しなかったものを本当に見たかのように生き生きと語り出したのです。
このように記憶を「思い出した」からといって、それが本当に起きたこととは限らないということがよくわかります。
作り話の実体験記憶
さて最後は上記の実験と同じようなものとして、幼い頃に聞いた作り話を実体験した事実だと思い込んでいた例をご紹介します。以下は心理学者のジャン・ピアジェによる回想録です。
他人から聞いた話によって、実際に経験したこととして記憶を形成してしまうという問題もある。たとえば、私の最も幼いときの記憶の一つは、もし本当だったら、2歳のときに起こっていたはずである。15歳くらいになるまでは、本当の出来事だったと信じていたある場面を、今でもはっきり思い浮かべることができる。
そのとき私は乳母が押す乳母車に乗ってシャンゼリゼ通りにいた。そこで私は男に誘拐されそうになったが、幸い乳母車の止め紐が付けられていたし、勇敢な乳母が私を守ってくれて助かった。彼女は気の毒なことに、男と争ったために顔に少し傷を負った。そのうち人だかりがして、短いマントを着て白い警棒を持った警官が現れると男はあわてて逃げていった。
私は未だにその一部始終を思い出せるし、その場所が地下鉄の駅の近くだったこともはっきり分かっている。私が15歳の頃、その乳母から両親宛てに手紙が届き、救世軍で働くことになったと知らせてきた。その手紙の中で彼女は、過去の過ちを詫び、そしてこの誘拐事件の後、ご褒美に贈られた時計を返したいと言ってきた。
実は彼女はこの事件を一人でデッチ上げ、顔に傷まで作っていたのである。つまり私は子どものときに、この乳母を信じきっていた両親から出来事の一部始終を聞いて、視覚的記憶として自分の過去経験の中に投入してしまっていたのである。
エリザベス・F・ロフタス『目撃者の証言』
(誠信書房)より
人から聞いた話を、自分が体験したこととして記憶し、さらには視覚情報まで作り上げるとは驚きです。
とはいえ、こうした偽りの記憶は超常現象に関わる現場でも作られやすいものです。たとえば宇宙人による誘拐や前世を「思い出す」ために利用される退行催眠です。
この退行催眠では、カウンセラーや研究者などが思い出させるために語りかけた話をきっかけに、偽記憶が作られてしまう場合があることはよく知られています。
また、これは複数の目撃者がいた場合でも起こりえます。最初はお互いに食い違う部分もあり、簡素だった証言が、お互いに話し合っているうちにどんどん統一され、話が盛られていくのです。
記憶には、きっちりとした形があるわけではありません。たとえるなら液体のようなものです。前出のロフタスは次のように説明します。
心を、水を満たしたボールのようなものだと思ってください。そして記憶を、水に入れ、かきまぜた1さじのミルクのようなものだと考えてください。大人の心には、何千さじものミルクが混濁した状態で溶けこんでいます。一体、水とミルクを分離できる人がいるでしょうか。
レコーダーのようにはいかない記憶
これまで紹介してきたように、人間の記憶というのはレコーダーのように正確なものとは異なります。普段から見慣れているものでも思い出せないことがあったり、何か情報を与えられると、それにつられて記憶が歪められたりしてしまうこともあります。また、ときには実際に無かったものを「思い出して」しまうことさえあります。
視覚編でも書いたように、過信は禁物です。
【参考資料】
- エリザベス・F・ロフタス『目撃者の証言』
(誠信書房、1987年) - 菊池聡『超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ』
講談社、1998年) - スーザン・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』
(早川書房、2006年)