神々や宇宙人へのメッセージか?「ナスカの地上絵」

伝説

南米のペルーにあるナスカ。海岸から50㎞ほど離れたこの乾いた大地に、見る者を圧倒する巨大な絵が描かれている。世界的によく知られた「ナスカの地上絵」である。

地上絵は、その巨大さゆえに地上からは何が描かれているか認識できない。

そのため飛行機がナスカの上空を飛ぶようになった1930年代になってはじめて、その存在が知られるようになった。

空からしか見えない絵を、いつ、誰が、何のために、どうやって描いたのか?

これまで考古学者たちは、さまざまな仮説を考えてきたものの、その謎を解き明かすことができていない。

ハチドリの地上絵

ナスカで最も有名なハチドリの地上絵 ©Diego Delso

しかし、スイスのエーリッヒ・フォン・デニケンをはじめとする宇宙考古学者たちは違った。彼らによると、空からしか見えないのであれば、それは空から見るために描かれたと考えるのが自然だという。

もちろん、古代のナスカの人々にはそのような航空技術はない。しかし、古代に宇宙から異星人がやってきたとしたらどうだろう。

星々を行き来できるだけの超技術をもつ異星人。彼らは、はるか昔に地球を訪れた際、ナスカへ立ちよった。彼らは「神」として崇められ、地球を去ったあともナスカの人々の崇拝の対象になった。

直線の地上絵

滑走路のような地上絵(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

ところが再会を願っても、神々が帰還する気配はない。そこで人々は神々へのメッセージとして、空から見えるように巨大な地上絵を描いたという。

そして地上絵のなかでも直線状のものは、古代の宇宙船や飛行機が離着陸できるようにするための滑走路としてつくられたのだいう。

これが、「古代宇宙人説」と呼ばれるもので、数ある仮説のなかでも最も説得力があると考えられている。(以下、謎解きに続く)

謎解き

ナスカの地上絵は、1994年に世界遺産に登録されるなどしたこともあり、世界的によく知られている。

一方で、地上絵については、その多くが謎に包まれているとされることも多い。

しかし実際は、昔と比べてわかってきていることもだいぶ増えている。また、日本では山形大学が現地にて研究所を設立し、地上絵の最新研究を続けている。

「山形大学ナスカ研究所」は2012年にナスカ市内で開設。現在、ナスカでの立ち入り調査が許可されているのは、同大学の研究チームのみ。AIと人工衛星の画像を使い、これまでに数百点におよぶ新たな地上絵を発見している。

ここでは、そういった新しい研究結果もふまえながら、いつ、誰が、何のために、どうやって描いたのか? といった基本的な問題から、ナスカの地上絵の謎に迫ってみたい。

いつ地上絵はつくられたのか?

まずは時代の話。実は、ひとくちに「ナスカの地上絵」といっても、その種類はさまざまで、つくられた時代も違ってくる。

そこで話を少し整理しながら進めてみよう。

地上絵が主に描かれているのは、ナスカ台地と呼ばれる乾燥地帯。その広さは約300平方㎞(約20㎞×15㎞)にもおよぶ。

ここに、大きくわけると次の三つのタイプの地上絵が描かれている。

直線タイプ
図形タイプ(台形、三角形、渦巻き模様など)
生物タイプ(動物、植物、人など)

総数が千数百点になる地上絵のなかで、直線タイプは1000点以上あり、もっとも多い。次に図形タイプは200点以上あり、もっとも少ないのは生物タイプで全体の1割ほど。

さて、世界中にある多くの遺跡がそうであるように、それに関わる人々や文化、技術などは突然現れて、突然消えたりはしない。

古代の人たちは長い時間のなかで、多くの試行錯誤を重ねてきた。それはナスカでも同じで、次のような時代に、先述の三つのタイプの地上絵を描いてきた。

地上絵の時代区分

地上絵の時代区分

ナスカの地上絵は、古いものだと紀元前のパラカス文明の時代からつくられはじめていた。この頃、生物タイプの地上絵はまだ小型で、時間を重ねるにつれてだんだん大型化していった。

直線タイプはもっとも長い間、つくられ続けた地上絵である。その期間は2000年近くにおよぶ。図形タイプは主にナスカ文明の中期から後期につくられた。

こうしてみると、もっとも地上絵が充実していたのはナスカ文明の時代だったようだ。ハチドリをはじめとする有名な地上絵も、その多くがこの頃につくられている。

けれども、それらは突然できるようになったわけではない。数百年という長い時間のなかで、徐々に発展していったのである。

誰が地上絵をつくったのか?

次は、地上絵の作者の問題。結論から先に述べれば、地上絵をつくったのはナスカの人々だったと考えられている。

これは、ナスカでつくられた土器に描かれた絵と、地上絵の多くが同じデザインになっていることから明らかだという。

たとえば次のようなもの。

シラサギの土器

シラサギの土器(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

シラサギの地上絵

シラサギの地上絵(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

クモの土器

クモの土器(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

クモの地上絵

クモの地上絵(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

神話的なシャチの土器

神話的なシャチの土器(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

神話的なシャチの地上絵

神話的なシャチの地上絵
(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

土器には、動物にしろ人にしろ、空想的なデザインがけっこう含まれている。これは地上絵も同じである。

また、なかにはナスカに生息していなかった動物の絵が描かれていることもあるが、これはほかの地方との交流があったからだと考えられている。

たとえばサル。これは熱帯地方に生息し、南米ではペルー北部のエクアドルにもいる。このエクアドルとは、ナスカ時代に貝などの交易が間接的にあり、サルもペットなどとして連れてこられたのではないかという。

また、ナスカの南部にはカワチ神殿と呼ばれる一大施設が見つかっている。ここはナスカ時代の前期まで、宗教的儀式を行ったりする巡礼センターだったと考えられており、ナスカの人々と他の地方の人々との交流の場となった可能性も考えられている。

カワチ神殿

カワチ神殿の遺跡(©Ingo Mehling)

いずれにせよ、ナスカの人々は決して未開ではなかった。美術的なセンスはもちろん、日干しレンガを使って巨大な建造物をつくる技術も持っていた。

ナスカの人々であれば、地上絵をつくることも問題なくできたはずである。

何のために地上絵はつくられたのか?

続いては地上絵がつくられた目的の話。これにはいくつかの説がある。ここでは「天文カレンダー説」、「地下水脈を示す説」、「豊饒儀礼説」、「古代宇宙人説」の四つを見ていきたい。

天文カレンダー説

これはもっとも古くからある説。最初にとなえたのはアメリカの考古学者ポール・コソックとその妻ローズ。彼らは1941年の6月21日、ナスカを訪れていた際、直線の地上絵の先に夕日が沈んでいく光景を見た。

その日は南半球の冬至である。一年でもっとも昼の時間が短いこの日、その太陽の動きと地上絵が関係していると思いついた夫妻は、地上絵が巨大な星図だと考えた。

この説は、のちにナスカの地上絵の保護活動に尽力する数学教師のマリア・ライヘへと引き継がれ、彼女のもとでさらに発展していく。

ポール・コソックとマリア・ライヘ
(出典:The Maria Reiche Foundation)

ライヘによれば、地上絵は農業をする適切な時期を知るためのカレンダーとして使われたのだという。地上絵の多くは太陽や月の動きと関連しており、星座とも一致するといわれた(たとえばクモの地上絵はオリオン座と一致するなど)。

オリオン座

オリオン座

ところが、その後、ボストン大学のジェラルド・ホーキンズがコンピューターを使ってシミュレーションした結果、天体の動きと一致する地上絵はごく一部しかないことが判明。

多くの地上絵は無関係だったため、現在、この説を支持する学者はほとんどいない。

地下水脈を示す説

これは地上絵の線が地下の水脈を示しているという説。乾燥地帯であるナスカでは水が貴重で、地下水脈のありかは情報として大事である。

そこでこの説では、地下の断層線から湧き出てくる水の場所を地上絵が示しているとした。1996年に探検家のデビッド・ジョンソンがとなえたことで知られる。

ジョンソンによれば、三角形や台形の地上絵は地下水がたまっている帯水層を示し、ジグザグの地上絵は「ここに水はない」ことを示すのだという。

けれども、この説を裏付ける証拠は見つかっていない。また、山形大学の阿子島功(あこじま いさお)名誉教授によれば、そもそも地下水脈のありかは、ナスカ台地に点在する低い木の分布を見れば、十分にわかるのだという。

つまりそうなると、わざわざ地上絵をつくる必要がなかったことになってしまうのである。

豊饒(ほうじょう)儀礼説

これは豊作の祈願のためにつくられたという説。古くからある説だったが、その後にさまざまな研究者たちの調査を経て発展していった。

この説の証拠のひとつと考えられているのは、地上絵の近くに点在する、小高い石積みの丘である。

地表の石をどかして積まれてできた丘
(出典:「WAOサイエンスパーク」http://s-park.wao.ne.jp/archives/1468)

このような丘からは、割られた土器の破片や、捧げ物とみられる甲殻類の殻などが発見されている。

また、地上絵の周囲からも割られた土器の破片が見つかっており、それらは色鮮やかな儀式用とみられる特別なものであることから、儀礼行為との関係が考えられている。

土器の破片

地上絵の周囲から見つかる土器の破片
(出典:「WAOサイエンスパーク」http://s-park.wao.ne.jp/archives/1468)

それでは儀礼行為とは具体的に何か。よくいわれるのは、地上絵の線の上、もしくは横を人々が歩いたというもの。

その際は楽器が使われたのかもしれない。ナスカではいくつもの楽器が見つかっており、そこにデザインされたシンボルとの関連からも、豊饒のための儀礼に使われた可能性がある。

アンタラという楽器

農耕と埋葬儀礼でよく使われた「アンタラ」という楽器(笛)。
(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

卵を産むカエルのデザインがされた太鼓

卵を産むカエルのデザインがされた太鼓
(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

アンタラにデザインされているのはアマツバメ。これは水と植え付け開始時期のシンボル。太鼓にデザインされているカエルは豊饒のシンボルだった。

こうした儀礼のために地上絵を歩いたというのは、現在も残るアンデス地方の風習から支持できるとする研究者もいる。

人類学者のヨハン・ラインハルトの調査によれば、ナスカの東にあるボリビアの村で、現在も楽師と村人たちがライン上を歩く儀式が行われているという。

ボリビアの風習

今日も残るボリビアの風習。左上の丘の上まで続くラインを行き来する。
(出典:『ナスカ地上絵の謎』)

このように豊饒儀礼説は、それを示唆する物品や風習が残されていることなどから、現在もっとも有力視される説となっている。

古代宇宙人説

最後に古代宇宙人説。概要は冒頭の【伝説】で紹介したとおり。この説を有名にしたのは、スイスのオカルト作家エーリッヒ・フォン・デニケン

デニケンは「宇宙考古学者」という肩書きをつけられることが多い。だがそもそも「宇宙考古学」という学問は実在しない。もちろん、その学位をもった学者というのも実在しない。もし「宇宙考古学者」という架空の肩書きを肯定的に扱っている本があれば、その信頼性はゼロに等しいと判断できる。

古代宇宙人説では、その前提として、ナスカの地上絵を見ることができるのは空からだけだといわれる。

しかし、実際はナスカにあるちょっとした丘に上がれば、地上絵は簡単に見ることができる。また地上からでも、ここは頭、胴体、脚といった具合に、それぞれの部位を認識することは問題なくできる。「空からだけ」という前提がそもそも間違っているのだ。

地上絵は1920年代に考古学者が最初に地上から見て発見している。
デニケン

エーリッヒ・フォン・デニケン

古代宇宙人説の根底にあるのは、「ロマン」などではなく、古代の人たちに対する根強い偏見である。

彼、彼女らは無知で未開だという決めつけからスタートし、宇宙人などの助けがなければ高度のなものは何もつくれないと説く。

もし、あなたが努力してつくり上げたものに対して、「あんたは無知で未開だから、こんなものを作れたはずがない」と言われたら、嬉しいだろうか?

自分の努力や創意工夫を否定されたら、誰だって悲しいはずだ。しかし、古代宇宙人説では、そうしたものをことごとく否定するのである。

この記事で紹介している事例は、古代ナスカの人たちの営みの一部に過ぎない。その時代、その場所には、私たちと同じ人間が暮らしていた。そうした人たちに思いをはせることもまた、ロマンと言えるのではないだろうか。

どうやって地上絵を描いたのか?

問いの最後は地上絵の描き方について。まず、ラインそのもののつくり方は、「地面に転がっている石をどける」という簡単な方法でできる。

地上から見たライン

地上から見た地上絵のライン
(出典:『世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち』)

ナスカの地面には、酸化して暗い色に変化した石が無数に転がっている。しかし、その石の下にある地面は比較的明るい色をした土と砂になっており、その明るい地面を見せることによって地上絵のラインとしている。

ちなみに、地上絵がつくられはじめたパラカス時代では、やり方が少し違っていた。当時はラインの外の石をどけることによって、地上絵をつくっていた。

時代によるラインのつくり方の違い

時代によるラインのつくり方の違い

パラカス時代の場合、地上絵は全体的に黒っぽく見える。一方、ナスカ時代の地上絵は白っぽく見えるという特徴がある。

さて、ラインそのもののつくり方がわかったところで、次はどうやって大きな絵を描いたのか、という問題に移る。

これには主に二つの方法が考えられている。

小さい絵から拡大していく方法

ひとつは、最初に小さな絵を描き、それをもとに拡大していくやり方。九州産業大学の諌見(いさみ)泰彦准教授は、このやり方を使って小学生に地上絵と同じ絵を描いてもらうことに何度も成功している。

ここでは、諌見准教授が出演して実演した番組『教科書にのせたい!』(TBS、2011年6月14日放送)から、拡大法のやり方を紹介しよう。

まず、もとになる小さな絵(ハチドリ)を描き、その近くに基準点となる棒を刺す。

次に、絵の一部に別の棒を指し、基準点との間をロープで5回(往復)巻く。

そして、巻いたロープを延長線上に伸ばすと、そのロープの先は、基準点と絵の一部との間の10倍の長さになる(5往復=5×2)。

このような作業を絵の主要ポイントで繰り返して線をつなげると、もとの絵の10倍になったハチドリの輪郭を描くことができる。

これが「比例」で、この比例を使えばもとの絵を何倍、何十倍にもできる。

道具を使わずに足で描く方法

もうひとつの方法は何も道具を使わず、足だけで地上絵を描くやり方。

これは山形大学の坂井正人教授が提唱している。2008年、坂井教授はナスカを訪れた際、現地の女性二人が現在も地上絵を描いていることを知り、話を聞いた。

女性たちによると、地上絵は種まきの方法を応用してやっているという。彼女たちが暮らす地域では、種まきのとき、複数人が横一列に並んで、一緒に前進する方法をとる。

種をまくタイミングは半歩単位で決まっていて、距離は目視だけで正確に測れるのだという。

地上絵はこうした経験や方法を応用し、二人一組になる。一人が右側の線を担当したら、もう一人は左側の線を担当する。こうして同時に進んでいくと、比較的短い時間で大きな地上絵も描くことができる。

細かい部分は、線の先にもう一人立たせて、その人物が指示を出す。また曲線は片足を軸にして、コンパスの要領で描く。石は片足で蹴飛ばしながらどかしていく。

坂井教授は女性たちにキツネの写真を渡し、地上絵として描けるかやってもらった。すると、どの部分にどれくらいの歩数が必要か頭の中だけで計測し、全長20メートルのキツネの地上絵をわずか15分でつくりあげたという。

同様のことは日本でも実験されている。2009年、山形県天童市立天童中部小学校で、6年生の子どもたちと保護者が坂井教授の指導のもと、目測だけで地上絵が描けるか試した。

このときは270人と大人数だったため、曲線部分は手をつないで描くなどのアイデアもとり入れた。その結果、約1時間でハチドリの地上絵(全長約100メートル)を原寸大で再現することに成功。

拡大法より、さらに簡単な方法でも地上絵は描けることがわかった。

いずれにせよ、道具を使ったとしても棒とロープ程度で、やり方次第ではそれすら必要なく描けたようだ。

ただし坂井教授も指摘しているが、当時、実際にこれらの方法が使われていたという決定的な証拠はまだ出ていない。今後の研究でそうした証拠が出てくることを期待しよう。

新たに発見される地上絵

この記事の最後は、近年の研究によって見つかった地上絵を紹介しておきたい。

2019年、山形大学のナスカ調査団は新たに143点の地上絵を発見。そのうちの1点は、日本IBMと共同で行われた、人工知能(AI)を活用した実証実験により発見された。

やり方は、AIにこれまで見つかっている地上絵の空撮写真を学習させ、パターンを覚えさせる。そこからパターンに当てはまるものと学習データにないものも予測して、新たな地上絵を空撮写真から見つけるというもの。最終的には人間が現地調査して確認する。

人型の地上絵

人型の地上絵
(出典:坂井正人「ナスカ台地とその周辺部で143点の新たな地上絵を発見」)

ネズミと人の地上絵

ネズミと人の地上絵
(出典:坂井正人「ナスカ台地とその周辺部で143点の新たな地上絵を発見」)

ネコ科動物の地上絵

ネコ科動物の地上絵
(出典:坂井正人「ナスカ台地とその周辺部で143点の新たな地上絵を発見」)

ラクダ科動物の地上絵

ラクダ科動物の地上絵
(出典:坂井正人「ナスカ台地とその周辺部で143点の新たな地上絵を発見」)

AIが見つけた人型の地上絵
(出典:坂井正人「ナスカ台地とその周辺部で143点の新たな地上絵を発見」)

新たに発見された地上絵は、いずれも数メートル規模と小さい。つくられた時期は紀元前100年~紀元100年頃のナスカ時代初期が想定されているという。

なお、AIが見つけた人型の地上絵は、その愛らしいルックスから「ナスカちゃん」という愛称がつけられているそうだ。ゆるキャラみたいでカワイイ(笑)。

きっとこれからも研究が進んでいくことで、まだ私たちが知らない未発見の地上絵が見つかるはずだ。期待して待ちたい。

【参考資料】

  • 並木伸一郎『オーパーツの謎』(学習研究社)
  • エーリッヒ・フォン・デニケン『未来の記憶』(角川書店)
  • 島田泉、ドナルド・A・プローほか:監修『世界遺産 ナスカ展―地上絵の創造者たち』(TBS)
  • アンソニー・F・アヴェニ『ナスカ地上絵の謎』(創元社)
  • ピーター・ジェイムズ、ニック・ソープ『古代文明の謎はどこまで解けたかⅡ』(太田出版)
  • 「地球の歩き方」編集室『世界遺産 ナスカの地上絵 完全ガイド』(ダイヤモンド社)
  • スティーブン・S・ホール「ナスカ 文明崩壊の謎」『ナショナル ジオグラフィック』(日経ナショナル ジオグラフィック、2010年3月号)
  • 阿子島功「ナスカ地上絵は地下水脈に関わる断層線を指示していない」『季刊地理学』(2010年62巻 4号)
  • 諌見泰彦「ナスカの地上絵の再現」『デザイン学研究』(2009年16巻4号)
  • 山形大学「ペルー文化省が調査、保護を託す 『ナスカの地上絵』研究の第一人者」(https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/hitotohito/research/20200915/)
  • 吉永みち子「ナスカ地上絵 壮大な古代の謎に挑む研究者 坂井正人(文化人類学者)」『WEDGE Infinity』(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/2695)
  • WAOサイエンスパーク「ナスカの地上絵を『科学』する-謎はどこまで解明されたのか(山形大学・坂井正人教授)」(http://s-park.wao.ne.jp/archives/1468)
  • 『教科書にのせたい!』(TBS、2011年6月14日放送)
  • 「歴史・迷宮解:現代のナスカ地上絵 種まきの距離感覚」『毎日新聞』(2012年02月22日付け)
  • 「校庭にナスカの地上絵、歩幅と目の感覚だけで描く」『読売新聞』(2009年10月18日付け)
  • 坂井正人「ナスカ台地とその周辺部で143点の新たな地上絵を発見~IBMのAI(人工知能)技術で地上絵の全体像把握を目指す~」(https://www.yamagata-u.ac.jp/en/files/5315/7381/2668/press2019115_02.pdf)
  • 頼伊汝「ナスカのロマン ~AIで見つける地上絵~」『IBM』(https://www.ibm.com/blogs/solutions/jp-ja/datascience_and_ai_nazca/)
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