伝説
アメリカで歴史上、最も有名なマジシャンにハリー・フーディーニがいる。彼は、警察が使用している本物の手錠や牢獄から何度も脱出して見せ“脱出王”の異名を持つと同時に、多くの霊媒のイカサマを暴露して“サイキック・ハンター”としても名を馳せていた。
そんな彼が霊媒のイカサマを暴露していたのは、亡き母と交信するために本物の霊媒を探し求めていたからである。フーディーニは母の生前、母との間である「合い言葉」を決めており、その合い言葉を言うことができる霊媒を探し求めていた。
けれども残念ながら、そうした霊媒は見つからなかった。そこで彼は母との交信はあきらめ、霊界の存在を確かめる方法を考える。妻のベスとの間で「暗号」を決めておき、自らの死後に、その暗号を使って霊界からメッセージを送ることにしたのである。
暗号は2人だけが知る秘密のもので、この暗号を霊媒が伝えられれば「本物」だと認められる仕組みだった。霊界の存在も証明できる。
ところが今日まで、この暗号、および母との合い言葉を伝えることができた霊媒は1人もいなかったと言われている。果たして本当だろうか? 実は、このフーディーニの暗号と合い言葉を伝えることができた人物は、1人だけ存在していたのである。
アメリカの偉大なる霊媒アーサー・フォードである。彼は1928年に、まずはフーディーニが生前に母との間で交わした合言葉を伝えた。それは世界中の霊媒が伝えることができなかった言葉であり、フーディーニが探し求めていた言葉……
“FORGIVE” ―許す―
この言葉をフォードが交霊会で霊界から受け取ったのは1928年2月8日。その翌日には、フーディーニの妻ベスにこの合い言葉を伝えている。彼女は非常に驚き、新聞に次のような署名入りの公開文を載せた。
これまでに幾千もの通信を受け取りましたが、夫のフーディニ、夫の母、私自身の3人だけが知っているある秘密の合言葉を含んだものはこれだけでした。
これだけでも十分にすごいが、まだ終わりではない。フーディーニとベスとの間で交わされた「暗号」もフォードは伝えている。 彼は交霊会でトランス状態になると、「フレッチャー」という名のコントロール霊に支配され、メッセージを伝える。
そして1928年11月の夜、ついに「フーディーニの暗号」の最初のメッセージが伝えられた。
はじめの語は “ROSABELL” で、それが他の言葉を解くことになるだろう。
この「ROSABELL」(ロザベル)という言葉は、フーディーニとベスが初めて出会った当時、コニーアイランドで流行っていた歌のタイトルだった。
この言葉を聞いたベスは、またもや驚いた。彼女が結婚指輪を外すと、そこには
「ROSABELL」の文字が刻まれていたからだ。この言葉が指輪の内側に刻まれていることはフーディーニとベスしか知らないことだった。さらにこれが暗号を解いたあとの通信文の一部になるということは2人以外は誰も知らないことだった。
フォードはさらにメッセージを伝える。
ROSABELLE以外の9つの言葉は私たちの暗号では一語の綴りとなる。
そう言うと彼は、交霊会で次の9つの言葉を伝えた。
ANSWER TELL PRAY. ANSWER LOOK
TELL ANSWER. ANSWER TELL
一見すると意味不明の言葉である。しかしフォードはこの9つの言葉の暗号を見事に解いてみせた。解読された言葉は「BELIEVE」(ビリーブ)。最初に伝えられた「ROSABELLE」と合わせると、フーディーニの霊界からのメッセージは次の言葉となる。
Rosabelle believe ―ロザベル、信じなさい―
このメッセージこそ、ベスが待ち望んでいたものだった。2人だけしか知らない暗号解読法でフォードは暗号を解いた。そしてフーディーニの霊界からのメッセージを伝えたのである。
この交霊会の後、1929年1月9日に、ベスはメッセージの正当性を認める宣誓供述書に署名し、新聞社に報道させた。
ニューヨーク市
1929年1月9日いろいろ反対の声明がありますが、それと関係なく、私はアーサー・フォード氏が伝えてくださった通信は、その全部が理路一貫している点で、正しくフーディーニと私との間であらかじめ約束しておいた通信であることを、ここに声明したいと思います。
ベアトレス・フーディーニ
証人
ハリー・アリー・ジアンダー
ミニー・チェスター
ジョン・W・スタフォード
霊界の存在を否定する者たちはこの事実を認めたがらないが、フーディーニの暗号は破られたのだ。霊界の存在は証明されたのである。(以下、謎解きに続く)
謎解き
フーディーニの暗号が破られたこと自体は事実である。ただし問題は、その暗号を破れたのは霊界からの情報によるものだったのか、それとも他の手段によるものだったのか、という点にある。
実はフォードの主張とは裏腹に、暗号に関する情報は事前に漏れていたという指摘が当時からあった。暗号は決して破れないほど秘密ではなかったというのだ。
セシリアとの合い言葉「Forgive」
フォードが霊界からのメッセージとして最初に伝えた合い言葉は、前出のとおり「Forgive」(許す)である。これはフォードとベスの主張では、母セシリア、フーディーニ、そしてベスの3人しか知らないはずの合い言葉だった。
ところが事実は違っていた。1927年3月13日付けの『ブルックリン・デイリー・イーグル』紙の中で合い言葉に関する話が出ていた。ベスがインタビューに答える形で、フーディーニが探し求めていたのは「Forgive」であったと述べていたのだ。
「Forgive」について述べられているのは以下の部分である。
彼は母親が霊媒を通して、『Forgive』(彼女の最期の言葉)と話すのを聞くまで信じないことを望んでいました。しかし彼は決して(その言葉を霊媒から)聞きませんでした。
ベスは「Forgive」という言葉が「合い言葉」であるとは明言していない。しかし文脈から判断すれば、これが合い言葉であることは一目瞭然だ。
もちろんフォードがこの記事を参考にしたかどうかは、24時間監視されているわけでもない以上わからない。けれども彼が「Forgive」という合言葉を伝えるよりも前に、情報自体は外部に漏れていた。
しかしここで奇妙なのは、情報を漏らしていた張本人であるベスが、約1年前に自身がやっていたことを覚えていなかったという点だ。
彼女はこれほど大事な情報を外部に話してしまったことを、たった1年も経たないうちに忘れてしまったのだろうか。だとしたら、何か精神的に普通ではない状況だったのかもしれない。もしくは覚えていたのに嘘をついたのかもしれない。
というのも次項以降で見るように、ベスには他の暗号に関する情報も外部に漏らしていたという指摘があるからだ。
ロザベルと暗号
まず「ROSABELL」(ロザベル)について。これはベスの結婚指輪の内側に刻まれていたが、誰にも知られていない情報だとされていた。
ところがフーディーニやベスの友人らによれば、ベスは以前から指輪を外しては、そこに刻まれている珍しい刻印を見せていたという。結婚指輪の刻印ならば、それが特別な意味を持つであろうことは簡単にわかる。
ベスはここでもやはり杜撰だった。しかし杜撰ですむならまだマシかもしれない。この「ROSABELL」を含めた10語の暗号に関しては、ベスがフォードに直接知らせていたともいわれているからだ。こうなると、もはやイカサマへの加担になってしまう。
具体的にはどういうことか。最初の指摘は1929年1月10日付けの『ニューヨーク・イヴニング・グラフィック』紙の記事だった。この元記事を書いた女性記者のレア・ジョールによると、ベスは前もってフォードに暗号についての情報を教えてしまっていたという。
ジョールは、交霊会の前にベス宅で取材中、10語の暗号について書かれた手紙を見ていた。それはフォードの友人だったフランシス・R・ファーストと『サイエンティフィック・アメリカン』誌の副編集長ジョン・スタフォードがベスとやり取りしていた手紙だった。
ベスはこれが交霊会の前に情報を教えていた証拠であることを認めていたという。ジョールはこの手紙のコピーを取った。そして交霊会後、彼女は、有頂天になっていたフォードを自宅アパートに招いて問い詰めた。
フォードは追求を受けると顔色を変え、金で口止めしようとしたという。しかしジョールが断ると、今度は自分が抱える有名な顧客の情報を教えるといって記事の差し止めを懇願してきたという。
けれどもジョールは応じなかった。結局、一連の経緯や会話内容は詳しく記事になり、大きな騒ぎとなった。
記事が発表されると、フォードはジョールのアパートには行っていないとして記事を断固否定する姿勢を取った。その時間帯には別の場所にいたと話す証人まで3人用意した。
一方、ジョールは記者のエドワード・チャーチルと編集長のウィリアム・E・プラマーと共に記事の内容は全部事実であるとして宣誓供述書に署名。問題の時間帯にフォードがアパートに出入りしていたことをドアマンのジェームズ・ローラーも証言した。
これに対しフォード側は、匿名の男の告白を用意。この男はフォードのふりをするよう金で雇われていたという。ところが、この匿名の男はヒアリングの場にも出席せず、誰に雇われたのかも話せない、実在すら怪しい男だった。
ジョールはその後も記事を書き続けている。1929年4月号の『科学と発明』誌では、フォードたちとベスとの間でやり取りされた暗号についての手紙のコピーが示された。
フォードはこれに対し、どう応じただろうか。事実無根の誹謗中傷だとしてジョールや出版社を訴えただろうか? 彼は訴えなかった。代わりに彼は記者に対し、「もうこの件は終わっていると思った」という謎の終結宣言で応じたのだった。
フォードとベスの関係
このようにフーディーニの暗号に関する情報は事前に漏れていたことが指摘されている。しかしそうだとすると、なぜベスはフォードに情報を漏らしたのだろうか。
これについては、2人が恋仲であった可能性や、ベスが精神的に不安定な状態にあったことなどが指摘されている。
もともとベスとフォードは交霊会が始まるまで面識はなかったとされていたが、実際は以前から知り合っていたという。前出のジョールは、フォードがイギリスからベスへ送った1928年4月10日付けの手紙を紹介している。また2人は交霊会の数週間前に行われたパーティーにも一緒に参加していたという。
さらに『フーディーニの秘密の生涯』という本によれば、交霊会の期間中だった1928年の大晦日にも2人はオールナイト・パーティーに参加。そこでベスは飲み過ぎてかなり酔っ払い、転んでケガをしていたともいう。
こうした関係の中、ベスはフォードと一緒に講演ツアーを行うつもりだったとされている。当時、ベスは経済的に苦しい状況にあったようだ。フーディーニの長年にわたる親友でベスの弁護士も務めていたバーナード・アーネストによれば、1929年1月4日にベスは自殺未遂を起こしていて、駆けつけた際には苦しい状況を打ち明けられていたという。
当時は借金を抱え、その返済のために自らの宝石類を質に入れてしのいでいたというのだ。『フーディーニの秘密の生涯』では、ベスはフーディーニが亡くなる少し前から酒やマリファナに溺れるようになっていたとしている。
精神的にもかなり不安定な時期があったようで、泣きながらフーディーニの名前を呼んでうなされる姿などが目撃されている。
彼女は最愛の夫フーディーニを亡くし、酒や麻薬にもはまり、精神的に不安定になっていったのだろうか。そうした中で出会った自分より20歳近く若いフォードは魅力的に映ったのかもしれない。
穴があった暗号
しかし暗号のことを漏らしていたのは、ベスだけではなかったという指摘もある。フーディーニの友人でマジシャンのジョセフ・ダニンガーによれば、デイジー・ホワイトという女性がフーディーニの暗号に関する情報をフォードに教えていた可能性があるという。
デイジーは当時、マジック業界にいた若い女性で、フーディーニの愛人だと噂されていた人物である。彼女はフォードの教会にも所属していて、彼とつながりがあった。
デイジーと同じアパートに住んでいたジョーゼフ・バンティーノという魚の行商人は、デイジーのアパートにしばしばフォードが訪れていたと証言した。また廊下の電話で彼女がフォードと話しているのを聞いたとも証言している。
ただしデイジー本人は、フーディーニと不倫関係にあったことや、暗号についての情報を生前に聞いていたことは否定している。そのためデイジー経由で暗号の情報が漏れていたかどうかは確定できない。
とはいえ、暗号については他にも漏れていたとダニンガーは指摘する。1928年6月に出版されたフーディーニの初の伝記『Houdini―his life story―』の105ページに、暗号解読法が載っているというのだ。
実は、この伝記を書くにあたって著者のハロルド・ケロックは、ベスに情報提供してもらっていた。そこで彼女はフーディーニとまだ駆け出しのマジシャンだった頃に、2人が舞台で使っていた暗号の解読法を教えていた。
この解読法を使えば10語の暗号も解読可能になる。解読されるメッセージは「Rosabelle believe」(ロザベル、信じなさい)だ。
結局、このようにフーディーニの暗号はいくつもの漏れが指摘されている。当初は秘密だと思われていた暗号も、穴があった可能性がいくつも指摘されていたのだ。これでは霊界の証明にはほど遠い。
その後のフォードとベス
最後はフォードとベスのその後を紹介しておきたい。フォードはイカサマをしていたという指摘がありながらも、フーディーニの暗号の件でメディアに連日取り上げられたことで大いに名前を売った。1930年代後半には職業霊媒として最盛期を迎えている。
しかし彼の死後、遺品を整理していた司教座聖堂参事会員のウィリアム・ラウシャーとアレン・スプラゲットによって、フォードは客の情報を事前に調べ上げ、膨大なファイルを作成していた事実が明らかにされた。彼は自分のもとへ訪れる客を騙し、詐欺を働いていたのだ。
一方、ベスは1943年に亡くなるまで、フォードに暗号の情報を漏らしたことは公に認めることはなかった。代わりに彼女がしたのは、フォードや霊媒たちをイカサマ師だと非難することだった。交霊会当時、彼女は精神的にも肉体的にもボロボロで、そこを餌食にされた被害者であるという主張を展開した。宣誓供述書も撤回している。
1930年3月19日には、弁護士のアーネストに頼んで声明を発表。それは、どんな霊媒もフーディーニの暗号の手がかりを提供しなかったというものだった。そこにはフォードも含まれていた。ベスは彼との関係を断ち切ったのだろうか。
世間からの裏切り者との批判に耐えられなかったのかもしれない。ベスは霊媒に幻滅し、亡くなる前には次のように語っていたとされる。それは霊界からのメッセージを待ち続けた女性が最後にたどり着いた心境を表していた。
私が行くときは永遠にいなくなります。戻ってこようとさえしないでしょう。
【参考資料】
- アーサー・フォード『サイキック』(荒地出版)
- Milbourne Christopher『Mediums, Mystics & The Occult』( T.Y. Crowell Co)
- William Kalush, Larry Sloman『The Secret Life of Houdini』(Pocket Books)
- Harold Kellock『Houdini: His life-story』(Harcourt, Brace & Company)
- Lydia Emery『Houdini Unmasked』(Dale News, Inc)
- Tom Interval「Houdini in The New York Times, Tells of “Spirit” Note by Houdini’s Mother」『THE NEW YORK TIMES』February 11, 1928. Page 2, Column 7(http://www.houdinimuseum.org/articles/1928_02.11.html)
- M・ラマー・キーン『サイキック・マフィア』(太田出版)
- ローズマリ・エレン・グィリー『妖怪と精霊の事典』(青土社)
- Massimo Polidoro「The Day Houdini (Almost) Came Back from the Dead」『Skeptical Inquirer』(Vol.36, No.2, March/April 2012)
- James Randi『The Supernatural A-Z』(Headline)
- Arthur S. Berger & Joyce Berger『The Encyclopedia of Parapsychology and Psychical Research』(Pragon House)