コンクリートに浮かび上がる恐怖「ベルメスの顔」

伝説

1971年8月23日、スペインの田舎町ベルメスにある一軒の家で奇妙な現象が起こった。この家に住むマリア・ゴメス・カマラは、夕食の準備をするために台所のかまどの薪に火を付けようとしていた。

すると、コンクリートの床に何かシミのようなものが浮かび上がっていることに気がついた。

最初に現れたベルメスの顔

最初に現れたベルメスの顔
(出典:Javier Cavanilles, Francisco Manez『Los Caras de Belmez』)

一体これは何なのか? よく見てみると、そこには目、口、鼻、口ひげが確認できる。

それは人の顔だった。

驚いたマリアはすぐに隣人たちに知らせると、駆けつけた彼らも、その不気味な顔を目撃する。もはや勘違いなどということはあり得ない。

不気味な顔の噂は、あっという間に広まり、スペイン各地から人が押し寄せる事態になった。しかし大勢の見物人たちによって、マリアの家族たちは日常の生活が送れない。

そこで彼らは不気味な顔を破壊してしまうことにした。最初の出現から6日後の8月29日、マリアの息子が台所の床を削り、そこにセメントを流し込んだのだ。

ところが奇妙な現象はこれで終わりにならなかった。約10日後の9月9日、まったく同じ場所に新しい顔が再び浮かび上がってきたのである。

しかも顔はより鮮明になっていた。まさに怪奇現象だ。結局、その後も不気味な顔は現れ続け、最も多いときでは18個もの顔が家中に出現したという。

顔にはそれぞれ名前が付けられており、最初に出現した顔には「七面鳥」という名前が付けられている。これはキリスト画と似ていたことから連想して、クリスマスに食べられる七面鳥が、ひねった名前として付けらることになったようだ。

一体、どうしてこのような現象が起きるのだろうか? その謎を解く鍵はマリアの家の地下にあった。あまりにも不気味な顔が出現することから家の地下を調べたところ、なんとそこからいくつもの人骨が発見されたのである。

そのため不気味な顔は、この人骨と何か関係があるのではないかと考えられている。(以下、謎解きに続く)

謎解き

ベルメスの顔は、長らく未解明だと紹介されることが多かった事例。かくいう私も、ベルメスの顔は情報が乏しく、未解明だと考えてきた。

ところが今回、スペイン語の資料にもあたって詳しく調べてみたところ、実はそうでもないことがわかった。ベルメスの顔に関する調査結果がいくつもあった。ここではそれらの情報も参考にしながら、このスペインの事例をまとめてみたい。

超常現象か、インチキか

第一発見者のマリアの家に現れた顔は、「たまたま何かが顔のように見えている」という類のものではなく、明らかに顔だと認識できるものだった。そのため当初から超常現象か、それとも意図的に描かれたものか、という議論があった。

そうした中、イタズラだと指摘する主張の中で多くの支持を集めたのが、何らかの酸を使ってコンクリートに顔を描いた、という説だ。これには主に2種類ある。

ひとつは1972年2月に、スペインの『プエブロ』紙が分析結果として発表した硝酸(しょうさん)銀説。この硝酸銀は写真フィルムの原料にも使われるもので、光に当たると黒く変色する性質で知られている。

顔はこの硝酸銀で描き、光を当てることで顔を浮かび上がらせたのではないかと考えられている。

『プエブロ』紙は当初、ベルメスの顔は超常現象であるという立場で報道していたが、1972年に調査チームを立ち上げ独自に分析。その結果、同年2月にそれまでとは180度違う分析結果を発表したことで大きな反響を呼んだ。ただし銀はその後の分析では検出されていないため、硝酸銀説にはさらなる調査が必要だとの声もある。

もうひとつは1971年にスペイン超心理学会の副会長ホセ・ルイス・ホルダンが中心となって調査した酢酸(さくさん)説。

この調査はもともとスペインの内務省が指示したもので、同国中から集められた様々な専門家によって委員会が結成され、徹底的に調査が行われた。

その結果、ベルメスの顔は酢酸とススの混合物によって描かれた可能性が高いとされた。

また調査では、スペインのどの薬局でも売られている「ドイツ製のコンクリートのシミ消し剤」と同種の化合物が見つかり、これを使用すると、ベルメスの顔が時に目に見えずに隠れた状態になる謎も解けるとされた。

このようにベルメスの顔については、現場での調査によってその制作方法がいくつか提示されていることがわかった。顔自体は複数存在するため、制作方法は複数存在する可能性も考えられる。

なお、その他に行われた調査によれば、マリアの家の地下から人骨が発見された件については事実であるようだ。ただし、これはもともとマリアの家の周辺が、昔は墓地だったことから掘り出されてしまったものだということが判明している。

動機は金儲けか

それではベルメスの顔が酸によって制作されていた場合、誰が主導し、どういう動機で行ったと考えられるのだろうか。最初に顔を描いたのは、マリアの息子とその友人たちだったと考えられている。動機は金儲けだ。

もともとベルメスの町は決して裕福ではなかった。何世紀もの間、その経済はオリーブが比較的最近紹介されるまで、エスパルトの開発で生活し、農業にもとづいていた。

エスパルトはイネ科の一種。紙や縄などの原料になる。

ベルメスの顔が初めて出現する前年の1970年の冬は、寒さと乾燥により、ある農家では飼育していた約600頭の牛のうち、約400頭が死んでしまうという事態に見舞われていた。

さらに主要産業になりつつあったオリーブの木も被害を受け、春には季節外れの雪まで降った。当時、このような損害を受けた年はかつてなかったという。

こうした中で起こったのがベルメスの顔の事件だった。実は当初、出現した顔はマリアの家族によって、ベルメスと同じスペインのハエン県にある大聖堂のキリスト画と似ていると吹聴されていた。

ハエン県の大聖堂のキリスト画

ハエン県の大聖堂のキリスト画
(出典:Javier Cavanilles, Francisco Manez『Los Caras de Belmez』)

そのため、この「キリスト画と似た顔が現れた」という話は、噂が広まる際の起爆剤となり、あっという間に近隣の町にも広まっていった。

噂を聞きつけた人々は、顔を見ようとマリアの家を訪れた。最初の顔の出現からわずか数日で、その数は1日1万人を超えたという。

この訪問客たちを見逃さなかったのがマリアの家族たちだ。最初はベルメスの顔の写真販売に始まり、数が増えてくるとバスツアーを企画。さらに顔を見るための入場料も取るようになり、一家は大儲けした。

しかし潤ったのはマリアの家族だけではなく、ベルメスの町自体が訪問客相手の商売で潤ったようである。ベルメスの顔を取り巻く環境は、ひとつの産業になっていたのだ。

2004年以降に現れた新しい顔

ベルメスの顔は、こうした一大ブームを経て落ち着きを取り戻してからも、噂を聞きつけて訪れる訪問客相手に写真を売る商売などは続けられていた。

1992年2月に、マリアに話を聞くために訪れた研究者のセザール・トートによれば、写真代として50ドル(約5400円)を請求されたという。

しかし2004年2月3日、第一発見者だったマリアが亡くなったことで事態は新たな局面を迎えることになる。それまでマリアの自宅にしか現れていなかったベルメスの顔が、彼女の死後に、その生家にも現れるようになったのだ。

この新しい顔はニュースになり、スペイン超心理学会会長のペドロ・アロモスは、一種の念写のようなものによって現れたという説明を披露している。

ところが、この件についても、やはりインチキだという指摘がある。スペインの超心理学者フランシスコ・マニェスと、ジャーナリストのハビエル・カバニージェスの調査によれば、新たな顔はコンクリートに水分を湿らせてできたシミにすぎないという。

もともとこの新しい顔は、マニェスがデモンストレーションとして、ただの水を使ってもシミによって顔が描けることを、アロモスに披露した後にタイミング良く現れた。

また水分のシミは不鮮明で曖昧になりがちだが、新しい顔も同じく曖昧で、見方によって、いくらでもいろいろな「顔」を見つけ出せる特徴があるという。

水で濡らしたモップで作られた顔

水で濡らしたモップで作られた顔。
(出典:Javier Cavanilles, Francisco Manez『Los Caras de Belmez』)

さらにカバニージェスが所属するスペインの新聞『エル・ムンド』紙の調査によれば、町もインチキに加担していたことが指摘されている。

当初、町は観光の目玉として最初にベルメスの顔が出現したマリアの家を購入しようと考えていたものの、価格が約8400万円と高騰したため断念。

代わりに約1200万円と安かったマリアの生家に目を付け、関係者と連携。「新たな顔」を出現させることで観光に利用しようと計画したのだという。

これに対しマリアの家族側は、金目当てであることを否定している。ところがその後の調査で、スペインの特許商標局に「Las Caras de Belmez」(ベルメスの顔)という商標登録がされていることが判明(記録番号はM2611792)。権利者はマリアの家族、カルメン・ゴメス・エルヴァスだった。

また町の方も、新しい顔の出現後にベルメスの顔の博物館の建設を計画。約1億2000万円もの投資を呼びかけ、2012年に完成させている。ここではパネルを通してベルメスの顔の歴史が学べるという。

ベルメスの博物館の様子

ベルメスの博物館の様子。「Tres euros por ver las caras de Belmez」『Ideal』 03.03.13
(http://www.ideal.es/jaen/v/20130303/provincia/tres-euros-caras-belmez-20130303.html)より。

こうしてみると、ベルメスの顔は新旧ともに怪しいようだ。おそらく最初は、ちょっとしたイタズラ、もしくは小遣い稼ぎのつもりだったのかもしれない。

しかしその噂は、当時の新聞の言葉を借りれば「まるで山火事のように」勢いよく広まってしまった。こうなっては、もはや手が付けられない。噂はマリアの家族のもとを離れ、町を飲み込み、やがてはスペイン中に広まることになった。

40数年前にスペインの片田舎にある小さなかまどから始まった騒動は、今や億単位の金を動かすまでに成長した。そこには様々な人間の思惑が今も渦巻いているようである。

【参考資料】

  • Javier Cavanilles, Francisco Manez『Los Caras de Belmez』(RiE Redactors i Editors 2007)
  • Cesar J. Tort, Luis Ruiz-Noguez「Are the Faces of Belmez Permanent Paranormal Objects?」『Journal of the Society for Psychical Research』(Volume 59, July 1993)
  • Cesar J. Tort「Belmez Faces Turned Out to Be Suspiciously ‘Picture like’ Images」
    『Skeptical inquirer』(March/April 1995)
  • 「床に浮き出る顔!驚異の心霊現象」『X―ZONE25』(デアゴスティーニ、1997年)
  • 「Maria Gomez Camara, la duena de la casa donde aparecieron las ‘caras de Belmez’」『El Mundo』 03 de Febrero de 2004(http://www.elmundo.es/elmundo/2004/02/03/obituarios/1075821170.html)
  • Javier Cavanilles「Las nuevas caras de Belmez fueron falsificadas por unos ‘cazafantasmas’ en complicidad con el ayuntamiento」『El Mundo』 28 de Noviembre de 2004(http://www.elmundo.es/elmundo/2004/02/03/obituarios/1075821170.html)
  • Javier Cavanilles「Belmez, 40 anos y punto」『El Mundo』 21 de Agosto de 2011(http://www.elmundo.es/blogs/elmundo/desde_el_mas_alla/2011/08/21/belmez-40-anos-y-punto.html)
  • Francisco Manez「LAS NUEVAS CARAS DE BELMEZ NO SON DE ORIGEN PARANORMAL」(http://digital.el-esceptico.org/numero.php?numero=19&anno=2004)
  • 「Destinan cerca de un millon de euros para el museo de las caras de Belmez」『Ideal』 04.06.10 (http://www.ideal.es/jaen/v/20100604/provincia/destinan-cerca-millon-euros-20100604.html)
  • 「Tres euros por ver las caras de Belmez」『Ideal』 03.03.13
    (http://www.ideal.es/jaen/v/20130303/provincia/tres-euros-caras-belmez-20130303.html)
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