超常現象の謎解き

100年の呪い?生まれ変わり?「リンカーンとケネディの奇妙な一致」

伝説

アメリカの偉大な大統領として知られるエイブラハム・リンカーンジョン・F・ケネディ

リンカーンとケネディ

リンカーン(左)とケネディ(右)

この2人の大統領には、次のような奇妙な共通点が数多く存在する。

リンカーンが下院議員に初当選したのは1846年。大統領に就任したのは1861年。一方のケネディが下院議員に初当選したのは1946年。大統領に就任したのは1961年。ちょうど100年違いである。
両大統領の暗殺後に後を引き継いだ大統領は、いずれも「ジョンソン」という名前。リンカーンの後任、アンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ。ケネディの後任、リンドン・ジョンソンは1908年生まれ。やはり100年違い。さらに2人は前大統領が暗殺されてから10年後に死亡。
2人のジョンソンは、どちらも南部の出身
リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースは1839年生まれ。ケネディを暗殺したリー・ハーヴェイ・オズワルドは1939年生まれ。
リンカーンもケネディも暗殺されたのは金曜日妻の目の前で、頭を銃で撃たれている。
リンカーンが撃たれた暗殺現場はフォード劇場。ケネディが撃たれた時に乗っていた車はフォード社製のリンカーン。
ブースはリンカーンを暗殺後、劇場から逃走し、倉庫で逮捕されている。一方のオズワルドはケネディを暗殺後に倉庫から逃走し、劇場で逮捕されている。
ブースとオズワルドは裁判が行われる前に殺された。
リンカーンは暗殺される1週間前にメリーランド州のモンローにいた。一方のケネディは暗殺される1週間前にマリリン・モンローと一緒にいた。
リンカーンには「ケネディ」という名前の秘書がいた。一方のケネディには「リンカーン」という名前の秘書がいた。
リンカーンの秘書は、暗殺前、大統領に劇場へ行かないよう警告した。ケネディの秘書も暗殺前にダラスへ行かないよう警告していた。
リンカーンとケネディは大統領在任中に子どもを亡くしている。
リンカーン(Lincoln)とケネディ(Kennedy)は名前の綴りがアルファベット7文字。
後任のジョンソン(Andrew JohnsonLyndon Johnson)はフルネームがどちらも13文字。
さらにジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)とリー・ハーヴェィ・オズワルド(Lee Harvey Oswald)もフルネームが15文字で一致している。

これらを偶然として片付けるには無理がある。ケネディはリンカーンの生まれ変わりだったのだろうか。(以下、謎解きに続く)

謎解き

こういった奇妙な共通点とされるものを列挙された場合、注意して考えた方がいい点が主に4つある。

その事例は本当に起きているのか。
もし本当に起きていた場合、その一致は超常現象を仮定しなければならないほど珍しいことなのか。
その共通点とするための条件やくくりに妥当性はあるのか。
一致している点ばかりに注目するのではなく、一致していない点はどの程度存在するのか。

これらに注意しながら、リンカーンとケネディの奇妙な共通点を具体的に検証してみよう。

リンカーンが下院議員に初当選したのは1846年。大統領に就任したのは1861年。一方のケネディが下院議員に初当選したのは1946年。大統領に就任したのは1961年。ちょうど100年違い。

これらは本当。ただし、アメリカの大統領選は4年ごとに行われるため、初代大統領ワシントンの100年後(4の倍数)にベンジャミン・ハリソンが選ばれているように、リンカーンの100年後には(再選も含め)必ず大統領が選ばれる仕組みになっている。

また【伝説】では下院議員の初当選のみを取り上げているが、他の選挙では、リンカーンは上院選に1854年と1858年に落選している一方、ケネディは下院選に1948年、50年、52年と3期連続で当選、1952年には上院選にも当選。58年には再選と、まったく共通点はなかった。

両大統領暗殺後の次の大統領は、いずれも「ジョンソン」という名前。リンカーンの後任、アンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ。ケネディの後任、リンドン・ジョンソンは1908年生まれ。さらに2人は、前大統領が暗殺されてから10年後に死亡。

これらも本当。しかし後任大統領の名前が「ジョンソン」というのは奇妙なことではなかった。なぜならアメリカ商務省国勢調査局の調査によれば、「ジョンソン」という名前はアメリカで2番目に多い名前だからだ。日本でいえば「鈴木」姓みたいなものだろうか。

前大統領が暗殺されてから共に10年後に死亡しているという点については、なぜわざわざそのような不自然な設定をしなければならないのか、という点に注目したい。

通常なら亡くなった年を比較した方がシンプルではないだろうか。けれども調べてみると、アンドリュー・ジョンソンが亡くなったのは1875年、一方のリンドン・ジョンソンが亡くなったのは1973年と、うまく100年の一致にならないということがわかる。

なお、リンカーン(1809年)とケネディ(1917年)の生まれた年も実は100年違いにはならない。そのため副大統領の生まれた年は取り上げられているのに対し、肝心の大統領の方は取り上げられていないという、おかなしことになっている。

実は2人の副大統領の在任期間は大きく異なる。アンドリュー・ジョンソンはリンカーン大統領の2期目の副大統領で、在任期間はわずか約40日。対するリンドン・ジョンソンはケネディ大統領の1期目の副大統領で、在任期間は約2年10ヵ月。リンカーンの1期目の副大統領を務めたハンニバル・ハムリンは、うまく合う名前や年がないので、もとからその存在が無視されている。

2人のジョンソンは、どちらも南部の出身者。

「南部」という大ざっぱなくくりでは合っている。しかし出身地そのものはアンドリュー・ジョンソンがノースカロライナ州ローリーで、リンドン・ジョンソンはテキサス州ストーンウォールであるため一致しなかった。

アンドリュー・ジョンソン(左)とリンドン・ジョンソン(右)

また、2人の出身地は直線距離にして約2000キロも離れている。日本でいえば青森―沖縄間くらいの遠距離。

リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースは1839年生まれ。ケネディを暗殺したリー・ハーヴェイ・オズワルドは1939年生まれ。

これは間違いだった。ブースが生まれたのは1938年。

リンカーンもケネディも暗殺されたのは金曜日。妻の目の前で、頭を銃で撃たれている。

これは本当。とはいえ、ここでの「金曜日」には意味がなく、どの曜日であれ一致していれば当たりとみなされる。実は同じ曜日に亡くなる確率は7分の1。

暗殺された年月日はリンカーンが1865年4月15日、ケネディは1963年11月22日と、一致しない。

妻の目の前で亡くなるのは、大統領が狙われるのは公の場に出た場合が多く、そういった場ではファーストレディである妻を伴っていることが多いため。

また暗殺の凶器に銃が選ばれるのはよくあることで、頭を撃たれたのは、2人の大統領が椅子に座っていたため、背後から狙うには頭部しか致命傷を与えられる場所がなかったという事情による。

なお、ブースが使用したのは「デリンジャー」という小さな拳銃で、狙ったのは近距離から、オズワルドはイタリア製の「カルカノ」というライフルを使用して遠距離から狙ったというように、中身にはそれぞれ違いがあった。

リンカーンが撃たれた場所はフォード劇場、ケネディが撃たれた時に乗っていた車はフォード社製のリンカーン。

一見すると共通しているように思えるかもしれない。しかし、よく比較すると前者に出てくる名前は「リンカーン」「フォード」なのに対し、後者は「ケネディ」「フォード」「リンカーン」。前者には「ケネディ」に該当するものがない。

また【伝説】では劇場と車の名前で共通点を見いだしているものの、本来、最もシンプルかつインパクトのある一致は、まったく同じ場所で暗殺されることのはず。

ところが、リンカーンが暗殺されたフォード劇場はワシントンDCにある一方、ケネディの暗殺場所はテキサス州ダラス。この2つの場所は約1900キロも離れており、全然違う場所で暗殺されていることがわかる。

ブースはリンカーンを暗殺後、劇場から逃走し、倉庫で逮捕されている。一方、オズワルドはケネディを暗殺後に倉庫から逃走し、劇場で逮捕されている。

ブースの方の倉庫とは「タバコ小屋」のことで、オズワルドの方は「教科書倉庫ビル」のこと。「劇場」もオズワルドの方は「映画館」であるため、大ざっぱなくくりでは合っているものの、こじつけ感は否めない。

また逃走から逮捕までの流れも、途中の経過がはしょられているために奇妙な対称性が誇張されている。

実際は、ブースが身柄を確保されるまでには10日を要し、その間ずっと逃走を続けていた(途中で共犯者とも落ち合っている)。一方のオズワルドは逮捕されるまでの時間がわずか90分だった。

ブースとオズワルドは裁判が行われる前に殺された。

ブースはリンカーン暗殺の10日後の夜、農園にあった小屋に立てこもり、騎兵隊の説得にも一切応じなかったため、小屋の周囲に火を放たれた上で、隊員に首を撃たれた。死亡したのは翌日の朝。

一方のオズワルドはケネディ暗殺の2日後の昼、ダラス市警察本部の地下通路で移送中に、ナイトクラブのオーナーに腹部を撃たれた。死亡したのは約2時間後。

例によって大ざっぱなくくりでは一致しているようにみえるものの、肝心の中身は相違点も多い。

なお、ブースが亡くなったのは1865年4月26日で、オズワルドが亡くなったのは1963年11月24日。両者の死亡年月日は100年違いにならなかった。

リンカーンは暗殺される1週間前にメリーランド州のモンローにいた。一方のケネディは暗殺される1週間前にマリリン・モンローと一緒にいた。

マリリン・モンローが亡くなったのは1962年8月5日。ケネディが亡くなったのは1963年11月22日。モンローはケネディより1年以上前に亡くなっているため、ケネディ暗殺の1週間前に会うことはできなかった。

リンカーンには「ケネディ」という名前の秘書がいた。一方のケネディには「リンカーン」という名前の秘書がいた。

ケネディには「イブリン・リンカーン」という名前の秘書がいたものの、リンカーンに「ケネディ」という名前の秘書がいたという記録はなかった。

リンカーンの秘書は、暗殺前、大統領に劇場へ行かないよう警告した。ケネディの秘書も暗殺前にダラスへ行かないよう警告していた。

大統領は暗殺や脅迫を頻繁に受ける立場。公の場へ出る際に、潜在的な危険性について警告を受けない方がむしろ珍しい。実際、リンカーンは、在任中に誘拐や暗殺を予告する手紙を少なくとも80通以上は受け取っていたことがわかっている。

リンカーンとケネディは大統領在任中に子どもを亡くしている。

「大統領在任中」というくくりではその通り。けれども例によってこのくくりに妥当性はあるのだろうか。リンカーンの三男ウィリアムが亡くなったのは1862年2月20日なのに対し、ケネディの次男パトリックが亡くなったのは1963年8月9日

また、ウィリアムが生まれたのは1850年である一方、パトリックが生まれたのは1963年8月7日。誕生と死亡の年も違えば、死亡時の年齢も「11歳」「生後2日」と全然違っていた。

在任中に子どもをなくした大統領は他にもいる。第2代大統領ジョン・アダムズや第30代大統領カルヴィン・クーリッジなど。

リンカーン(Lincoln)とケネディ(Kennedy)は名前の綴りがアルファベット7文字。後任のジョンソン(Andrew JohnsonとLyndon Johnson)はフルネームがどちらも13文字。さらにジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)とリー・ハーヴェィ・オズワルド(Lee Harvey Oswald)もフルネームがどちらも15文字で一致している。

これも条件の妥当性がなかった。リンカーンとケネディはラストネームのみなのに対し、2人のジョンソンはファーストネームとラストネーム、2人の暗殺者ではさらにミドルネームを組み合わせるといった風に、一致するものだけを恣意的に選んでいる。

そもそもエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)は7+7=14文字で、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)では4+10+7=21文字。共通するのはラストネームの文字数だけ。

他もアンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson)は6+7=13文字なのに対し、リンドン・バイネス・ジョンソン(Lyndon Baines Johnson)は6+6+7=19文字

ジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)は4+6+5=15文字、リー・ハーヴェイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald)は3+6+6=15文字と、それぞれ文字数が一致していない名前もあることがわかる。

偶然の一致は意外と起こりえる

ここまで検証してわかるように、リンカーンとケネディにまつわる奇妙な共通点というのは、一致していても珍しくないことだったり、くくりや条件が恣意的だったり、そもそも事実ではないことを含んでいたり、といったものが多かった。

また、共通しているところだけを挙げられると気付きにくいが、実は共通していない点も多い。

たとえばリンカーンとケネディの間だけでも、生まれた年 、亡くなった年 、出身地、両親の名前、子どもの名前、前大統領の名前なども全部異なる。

生まれた月日が同じ大統領は、第11代アメリカ大統領ジェームズ・ポークと第29代アメリカ大統領ウォレン・ハーディングがいる。彼らは共に11月2日生まれ。亡くなった月日が同じ大統領は、第13代大統領ミラード・フィルモアと第27代大統領ウィリアム・タフトがいる。共に3月8日に死去。また第2代大統領ジョン・アダムズと第3代大統領トーマス・ジェファーソン、第5代大統領ジェームズ・モンローの3人はアメリカ独立記念日の7月4日に亡くなっている。

さらにアダムズとジェファーソンの死亡年は1826年なので、亡くなった年月日が全部一致している。

これらは奇妙な共通点を探す上で、当然調べられるべきもののはずだ。しかしまったく一致しないために、なかったことにされている。

【伝説】のように条件をその場その場で変え、とにかく一致したり、反対だったりするものを本人や周囲からかき集めるやり方をとれば、ある2人の間に奇妙な共通点を見つけることはそれほど難しくはない。

アメリカの超常現象調査団体CSIは、このことを実証するため、1992年に「大統領の奇妙な一致コンテスト」を開催している。世界中の読者から、アメリカや海外の大統領の間にまつわる奇妙な一致を見つけてもらおうというのだ。

その結果、たとえば以下のようなペアに複数の共通点が見いだされた。

初代ジョージ・ワシントンと第34代ドワイト・アイゼンハワー
第3代トーマス・ジェファーソンと第37代リチャード・ニクソン
第4代ジェームズ・マディソンと第28代ウッドロウ・ウィルソン
第7代アンドリュー・ジャクソンと第16代エイブラハム・リンカーン
第8代マーティン・ビューレンと第32代フランクリン・ルーズベルト
第9代ウィリアム・ハリソンと第12代ザカリー・テイラー
第11代ジェームズ・ポークと第39代ジミー・カーター
第18代ユリシーズ・グラントと第37代リチャード・ニクソン
第20代ジェームズ・ガーフィールドと第25代ウィリアム・マッキンリー
第28代ウッドロウ・ウィルソンと第34代ドワイト・アイゼンハワー

ちなみにコンテストの最優秀ペアは、ケネディ大統領とメキシコのアルヴァロ・オブレゴン大統領の組み合わせで、彼らの間には計16もの共通点が見つかっている。

【参考資料】

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